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6月2日

政治の行方は、国民の意思の総体の行方。みんなで揃って「あいつが悪い、あいつのせいだ」の大合唱。

世の中が上手くいかない理由を誰かに背負わせ、叩いて憂さ晴らし。そんなことやっている場合でしょうか?

白馬の王子か、青い鳥をイメージしたような夢のリーダー論がそこいらじゅうをひとり歩きし始め、或いは、誰もが自分だけは正論が見えていると

いわんばかりの根拠の虚ろな論陣を張り、現実を歩むために小さな一歩を進もうとする者を、その思いこみの絵空事との比較で引きずりおろす。

ここまで社会が沈滞化した原因のひとつである官僚制度(官僚による官僚のための国策によって国民が被る被害)に依存し続けた

与野党の政治家達が、まるで全ては菅総理一人の責任であるかのような演説を恥ずかしげもなく国会で声高らかに、誇らしげに叫ぶ姿に、

怒りと吐き気を催さない人々がいるのだろうか、と私は感じます。

 

それでは私利私欲(自分の天下り先の確保が最優先等の行為)に走った官僚を擁護していることになるのではありませんかね。

ああやっぱり、政治家は官僚を擁護したほうが永田町で長生きできる、という計算なんですかね。

 

素晴らしきかな日本。ダメになった何かがあるとすれば、それは誰か一人の話ではないことは、日々の生活でも小さな違和感として多く感じます。

リーダーシップ論議が巷を賑わすのは、それが(もしホントウに可能なら)社会改善の最も安易な方法だからではないでしょうか。

 

リーダーシップの欠如が今の日本の転落の原因のすべてと責任転嫁できるなら、国民は誰一人何の努力も犠牲も、心の痛みも感じることなく、

今回の原発事故の構造的な原因となっている官僚と天下り先企業の癒着など、長年硬直化した日本の官僚制度の弊害すらも、

その夢のリーダーさえ出てきてくれれば、彼が何とかして、すべてを改善して今の不幸から救ってくれるだろう、という夢のような発想。

「それをやってくれないリーダーは能無しの体たらくで」っていう論調がそこいらじゅうで氾濫し、

日の当たらなかった政治家たちは、(自分がそれを代わりにできるかどうかなんてことにはお構いなしに)この世論の動向を利用して、

政党や内閣すら入れ替えちまおう、って勢い・・・。

 

阿呆くさ。私はひっそりと、そんなリーダー(ヒーロー?)が民衆の期待通り現れて、漫画の世界のように

すべてを解決して日本を良くしてくれような未来が訪れる日が来ることを陰ながら祈っているとしましょう。

(ヒトラーがそうした民衆心理から生みだされてきた歴史だけは忘れてはいけないが。)

 

しかし残念ながら、おそらく次もその次のリーダーも民衆の過大で空想的な期待に応えられないでしょう。どこかの白馬の王子様に期待だけして、

自らは何も工夫しようとしない民衆の憂さ晴らしに引きずり下され、政治は混迷と停滞の繰り返しになりましょう。

夢のような人や話を追い続ける限り。現実は少しずつ試行錯誤しながら、小さな工夫を積み上げて変えていくしかないことを悟らない限り。

 

それにしても、小沢一郎の私利私欲の行動はすでに国益を著しく損なう老害の域に達していることを思い知らされます。

彼を過大評価するのはもうやめにしませんか?お金もらって世評をコントロールしようとする輩には馬の耳に念仏でしょうが。

多くの国民の不満のはけ口の先頭に立って異端審問官の格好でもすれば、一時的には喝采を浴びることができるかもしれませんが、

その政治家としてあるまじき振る舞いの記憶は民の中に確実に蓄積されていくと(せめて)信じたい。